10月の初旬、金沢に飽きた我々夫婦は新潟、燕三条で行われていた「工場の祭典」という催し物に参加して、活気ある地場産業の現場を生で見てきた。農業のお手伝いバイトをしている自分としては気になる「鍬(くわ)」を作る工場を見学できて、日本の農業の奥深さを垣間見るのであった。工場の三代目、近藤さんのインパクトがすごかった。
背油ちゃっちゃという、金沢人には聞き覚えのないラーメンジャンルが、燕三条では当たり前ということで、奥さんリサーチの店に勢いで入ってみる。これはもう最高のラーメンに出会ってしまいました。また行きたくなるラーメン。手打ちっぽい太さがバラバラの麺にからむしいたけ的なダシをつかった濃厚かつあっさりのスープ。最後まで喉越しから楽しめる絶品でした。餃子もまたうまかった。またぜったい行く。#中華亭
9月下旬、金沢をあえて楽しもうという企画で、奥さんと21世紀美術館へ行き、それからジビルバというクラフトビールを昼から飲める店で一杯ひっかけ、帰りに「カレーの市民アルバ」にて金沢カレーを食べるという金沢づくし。地元民として地元をあえて楽しむことも必要だと実感。しかし、地元民として金沢を楽しむというのは、なかなか工夫がいるのですよ。写真手前はレディースホームランカレー。
フードブログ化してきた。9月某日、近所の焼き鳥屋「たかた」へ。〆の一杯のこのラーメンが素朴で美味しいんだわ。
とにかく暑い夏だった。畑の水はけをよくする溝切り専用バイク。そして、僕にあてがわれたやたらにハンドルの重い軽トラ。もちろんマニュアル。このバイトのおかげでいつでもどこでもマニュアルの車運転できます。最後はすっかり農業人のおれ。
台風が何度も来て、畑のうねに貼ったマルチシートが何度もはがれた。台風一過の次の日の仕事はこのはがれたマルチを直すという作業が常になった。台風のばかやろー。
9月中旬、奥さんががんばって買ったCX-3がようやく納車され、山中温泉へ。うしろに見える医王寺とは、僕のおばあちゃんの寺である。広い中庭と風流な滝まである。夏と冬はよくこの寺で遊んだ。僕のアイデンティティーのひとつでもある。
奥さんのおじいちゃんが9月にお亡くなりになり、母と二人、深夜の高速に乗って新潟へと向かう。母72歳とともに仮眠をとった健康ランドのひなびた感じが、とても僕の中で原風景化しつつあるのはなぜだろう。母とふたりのロードトリップって物語性があるんだろう。
8月お盆の新潟帰省。近い将来は金沢を出て新潟に住もうと本気で思っている。僕は新潟が好きだ。とにかく広い。自然が豊か。人々はのんびりしている。金沢みたいに見栄を張らない。ああ、僕は金沢がとにかく好きじゃない。自分が金沢育ち、そして金沢で仕事をしていることに滑稽な因果を感じる。新潟の広い空の下で思いっきり息が吸いたい。
このときはサービスエリアで車中泊。暑いのでドア半分あけて寝たら雨で体が半分ずぶ濡れになっていた。奥様のお父様とビアガーデン。奥様のお父様は僕よりたったの10歳年上なので、会社の上司とお話ししているような気分になる。熱い人柄、パワフル。結婚の挨拶のとき、それはもう怖かったですが、今ではこんな感じでトークしてます。
最後は奥胎内のヒュッテでの一枚。暑かった。楽しかった。
以上、10月から遡って、8月のあの熱い日々までタイムスリップ。
来月、岐阜のスキー場が人工雪でオープンします。
もちろん行きます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!