スキーブログ 2018-2019シーズン 番外編 ある冬の朝の回想

「がっぱになる」という金沢弁がある。意味はたぶん、「狂ったように一生懸命」という感じだろうか。「我を忘れたように夢中になる」の方が正確だろうか。しかし、それはただの「無我夢中」ではなく、もっとうざい感じの「無我夢中」だったりするかもしれない。

 

そんなわけで、僕は今、がっぱになりつつある。何に対して?

 

そう、スキーに対して。雪に対して。

 

何もない12月の初めの日曜日。温いベッドを抜け出し、冷たい空気のリビングに顔を出した早朝、自分が22歳だった頃のことをふと急に思い出す。僕はその年、志賀高原横手山スキー場のスキー学校のインストラクターとして働いていた(たいして上手くはなかったけれど、ほとんど誰でもやりたいといえばインストラクターになれた)。

 

横手山志賀高原の数あるスキー上の中でもっとも標高の高い場所にあり、2000mのあたりに位置しているので、下界から持ってきたポテトチップスの袋は気圧の影響で爆発しそうになるくらいパンパンになった。そして、毎日氷点下だった。チームの職員の顔には凍傷のあとが残っていたが、それが横手山の低温によるものなのか、過去に遭難しかけたからなのかは知らない。とにかくそれくらい寒いところにあった。

 

どうしてスキーのインストラクターになったのか。それはスキーが好きだからという理由からではなかった。21歳で大学を除籍になり、東京での生活がうまくいかなくなると、逃げるように、もしくは、希望を抱いて、お金を少し貯めるつもりで、たまたま見かけたインストラクターの募集に応募し、気づけば、まるで収容所に収容されるような感じでホテルの地下室に用意されたインストラクターチームの薄暗い宿舎にいたわけだった。

 

お金は貯まらなかった。その代わり、素晴らしい経験をした。標高2000mの世界に3ヶ月も住んだら、そりゃ世界は変わる。景色は変わる。目の前に迫る黒いスクリーンのような空にまるで電球のように何百万という星が張り付いている光景は、ほとんど宇宙の中に放り出されたような感覚だった。

 

宿舎には、がっぱになった奴らが勢ぞろいしていた。要するにスキーバカが集まっていて、ちょっとうざかったけれど、彼らは愛すべきスキーバカだった。ランクル率が高かったが、彼らは氷結したつるつるの道路でランクルを滑らせ、僕は生まれて初めてランクル同士の衝突を目撃した。時速1キロくらいの衝突だった(要するに勝手に車が滑り始めた)。ランクルをぶつけた若い彼らの顔は透き通る空の青よりもずっと青ざめていた。

 

志賀高原横手山、熊の湯エリアはまるで天国みたいな場所にあったので、毎日のように訪れる修学旅行の子供たちは、毎回泣きながら下界に帰って行った。みんな声をそろえて「帰りたくない」と泣いていた。3日間、班を受け持った僕たちインストラクターは、全身全霊でスキーを教え、リフトに激突されながらもリフトから転げ落ちた生徒を助け、とっておきの景色が見える秘密の場所に彼らを連れて行った。夜は班ごとのミーティングまであり、僕はおもに恋愛の話で生徒の心をずるくつかんだりもした。

 

43歳になった僕は、今朝、そんなことを思い出していた。そして雪山に熱い思いを馳せては、各地スキー場のライブカメラを朝っぱらからがっぱになって追っている。今朝はいろんなところで積雪があったみたいだった。来週火曜日の異常高温が気になるところだけど、来週末にはかなりの寒波がやってくるようだ。思えば小学生の頃から、雪の便りをずっと待っているような気がする。毎日ポストをのぞくような気持ちで僕は雪が降るのを待っている。