1月9日 高鷲 晴れ ミディアムハード
1月13日 高鷲 晴れ ソフト
1月19日 栂池 くもり ミディアム
先日、このブログでも過去に登場したことのある友達である歯科医のSくんとともに高鷲スノーパークへ行った。結論から言うと楽しかった。
普段ひとりで黙々と練習していたわけだけど、この日はSくんとともに互いの滑りをチェックしたり動画を撮ってもらったり、撮ってあげたり、といつもとは違う練習ができて、おかげでメキメキと上達した。
その結果がこれ。
ようやく内傾角も出始め、板もそろってきた。動画で悪い点をチェックし修正したらかなり理想の滑りに近づくことができた。
僕が今まで足繁くスキー場に通っていたのは、スキーという道具をどうやったら効率的に使いこなせるのかということの答えを探しに行っていたようなものなので、4年かけて(スキー滑走日数150日以上)ようやくその答えが見え始めてきた。
理論と実践。その繰り返しの果てに、「なんかこのポイントでスキーを踏む感じ最高なんですけどぉぉ」という滑りができてきて嬉しい。
そしてそんな滑りがようやくできてくるようになると無論変化が現れる。
「量より質」という変化だ。
次の週、得た滑りを忘れないようにとまたひとりでいそいそと高鷲に行ったわけだけど、これがどうにもつまらない。
歯科医のSくんと行ったスキーが楽しかったということもあるのだろうけど、何本滑っても発見がない。おまけに雪がミディアムすぎてターンにドキドキが生まれない。DJの声がゲレンデにこだまし、おもに名古屋大阪あたりからやってくる若者に紛れてリフトに乗車してる間に、スキーってこんなに退屈なものだったっけ?なんてことを思い始める始末。正確には、スキー自体は面白いのだけど、それを取り巻く環境に退屈を覚え始めてきたといった感じ。全面オープンしてない同じゲレンデを何度も往復することにも飽きてきた。
僕は半ば傷ついたような気持ちになって異例の11時上がりで金沢へと帰ることにした。
予想よりも早く帰ってきた仕事場である教室のソファに寝転びながら僕はウーウー唸っていた。
・・・僕がしたかったスキーっていったい何だったんだろう。涙が出そうだ・・・
僕が知っている冬の景色ではなくなった2020年という年は、何かが大きく転換する年になるのかもしれない。15年後、日本から冬がなくなってしまうかもしれない。
冬が冬らしくないことで僕は(多くの人が)鬱になりつつある。地球温暖化鬱。気候変動鬱。
だがしかし。
温暖化は今のところ泣く泣く受け入れるとして、
僕がしたかったスキーはこれではなかったか。
競技スキーだ!
ということでシーズンが始まってやっと、僕にとっての初めての公式レースである長野県マスターズ大会が1月19日、長野県の栂池高原スキー場で行われた。気分的にはもうシーズンアウトしてもいいんじゃないかと思えるくらいこの日のために備えてきたわけだった。
11月から2ヶ月、僕はこの日に向けてがんばってきたのだった。(本当は石川県の国体予選を目指していたのにエントリーの締め切りを過ぎていたトホホの結果ではある)
長野というスキーの本場でマスターズに出る。そのことに何か意味がありそうだと思っていて、実際に参戦してみて確かに大きな意味があったと思う。
ひとつは、強豪の中に入ってレースに挑むことで、精神が鍛え上げられること。
ひとつは、その中で微小ながらの結果を出せたということ。
やってきたことの自信につながった。
レース中の緩斜面では自分でも遅いなあと思うくらいスピードがなかったが、最後の急斜面では「負けてたまるかこの野郎ぅぅ」とフルカービングで曲がり切ってフィニッシュできた。
今回のレースのテーマは、「フルカービング」だったので、タイムはさておき、落とされることなく暴走することなくきっちりカービングして降りてこれて、まずは目標達成。これを土台にして今度からは「いかに速く滑るか」ということにテーマの軸を移せるのではないだろうか。何をえらそうに。
60歳未満クラス55人参加中、39位という結果は、へっぽこレーサーから普通のレーサーに昇格しつつあることを意味する。一流レーサーになるまでにあと15年ある。
60歳になったら引退だ。しかし15年後まで雪はあるのだろうか。
それでは写真ダイジェスト
ナイスミドルたち。
保護ネットに保護されるナイスミドル。
雪不足によってコース変更。結果頂上1700Mあたりからのスタート。絶景。
レース後、板を履き替えて難儀していたHEADのR30に乗ってみる。連日の練習のおかげで乗るポイントがわかって、すごいいい板だということに気づく。
次回はダイナランドでナイター練習したら、月末は八方リーゼンスラローム大会に参加です!楽しみ!
by 普通のレーサーBen