もうすぐ11月

病気ネタばかりが続いていますが、50歳を目前にしてやはり体は刻一刻と衰えていくようで、20代や30代では想像もできなかった、生活様式の変更を迫られているようだ。

何かの雑誌に、中年以降は体がサインを出してきたら無理をしないと書いてあったのを見て、そうなんだよな、と思った。このサインを無視して無理をすると回復するのに3ヶ月もかかったりする。体調に耳を澄まし、無理はしない。かつ、体力をつけていかないと、体力は維持できない。歳をとるってそんな感じ。付き合いを上手にする。

 

最近は68歳で仕事を引退することを具体的な夢と掲げ、あと20年だけがんばって仕事しようと思うと、68歳以降にどんな生活を送ろうかと考えて毎日わくわくしている。68歳になったら、長野県か新潟の山奥に150万円くらいのボロ屋を買ってこつこつDIYリフォームだ。そして、冬は毎日スキーをする。冬以外はバイトと年金と長期投資の配当金でなんとか生活する。妻と夫婦水入らずでたまに旅行にも行きたい。娘はその頃、社会人。

そう、私、投資を始めたんです。実は。去年の誕生日に記念で株を買って、そろそろ投資の経験としては1年半になるけど、株を通して見る社会の成り立ちが面白かったりする。

業績をあげるために企業がやっていること。彼らのホームページを見て新たな発見があり、ふむふむがあり、へーやほーがある。株の本も読み勉強もしている。一番気に入った方法は、気に入った企業を何個かコレクションするつもりで応援をするやり方だ。株価はあまり気にしない。しかし、失敗も許されないので、業績や将来の見通しはちゃんと見ておく。中間決算の発表も近づき、彼らがどれくらいがんばっているのか知るのもまた面白い。どうして減益したのかその理由もまた勉強しなくてはいけない。

自分がコレクションする企業や気になる業種はなぜか機械とか鉄鋼業が多い。景気敏感株と言われ、毎日びんびんと値段を変化させていて、けっこう難しい。下がったかと思っておりゃっと買ってみて、おやまあ!さらにどんどん下がっていく!なんてこともありいい勉強になる。自分の心理的弱点も学べる。

要するに新NISAが始まるわけで、政府にじゃぶじゃぶ税金を取られなくて済むわけで!

人生設計というものを初めてした自分でありました。

ちなみに今年は暖冬を見越して岐阜県の高鷲エリアを平日シーズンパスで攻めます。

11月の最後の週あたり!!

 

ではまた。Ben

 

 

 

 

 

 

9月になった。

去年受けた副鼻腔炎の手術以来、毎月一度は県立中央病院の耳鼻科に定期的に鼻の調子を診てもらいに行っている。

四月に主治医がいきなり代わり、手術をしてくれた先生は僕のもとを去った。代わりにやってきたのは僕のことなんかまるで知らない女性の医者で、その先生とのやりとりが毎回噛み合わなくてなかなか歯がゆい思いをしている。しかも、パソコン上の一番目立つ部分の僕のカルテにはこう書かれているのが丸見えだ。

うつ病 パニック障害

たしかにそうなんだけど、もううつ病ぽくもないし、パニック障害もなぜか消失しているので、毎回その画面越しに僕をそんな目で見ないでほしいよ、新しい先生よ。

 

と、前置きはこれくらいにして、ようやく9月になりました。7月8月はほんとに焦げるくらいに暑くてインラインもする気になれなかった。しかし、9月はやはりちゃんと秋なのだ。秋らしく感じる虫が鳴き、さわやかな風が吹くのだ。そうなってくると地球もようやく半分をぐるりと周ってきてくれたのだと実感し、ようやくスキーの季節を肌で感じられるようになってきた。

 

今シーズン(23-24)は小雪を見越して、岐阜の人工降雪機のあるスキー場を攻めるつもりで、5つのスキー場で使える平日シーズンパスというものを購入した。やる気だぜ。さらにはモンタナスキークラブへも復活し、SAJの登録もした。これでマスターズのA級やB級の試合にも出れる。そして今シーズンは国体の予選にも出るつもりだ。血がふつふつと沸き立つぜ。いい感じだ。

 

おしまい。

 

Ben

雑記 7月3日 オフトレとか

石川県立こころの病院に通い始めて早1年。うつ気味と診断され、処方された鬱に効く薬は28日分しか出せないので毎月かほく市の奥まで通うことに。そのそばにある坂道がいかにもインラインに向いていることに気づいて以来、そこをインラインスケート場と勝手に名付けて練習に勤しんでいる。

シーズンアウトしてから、感覚を保つために週1でインラインを継続している。インラインをやる際は、スキーの動きをインラインではどう再現するかを考えてやっている。ここ数ヶ月はずっと内足の返しを中心に練習していて、ようやく両膝、外足と内足の傾きがそろってきた。あとは上体の向き、いわゆる外向傾を練習している。理論的にかなり理解してきたので来シーズンのエルニーニョ暖冬予想の冬が今から楽しみである。

6月に入ってから、めまいがひどくて、この日もインライン終わった瞬間にグラグラしだして、駐車場で吐き、車の中で吐き、1日グロッキーに。他にも英語のレッスン中にぐらっとして、トイレでゲーゲー吐いて、その日のレッスンは中止に。

めまいはきつい。立ってられないのですべての活動が中止になってしまう。

最近はめまいの前兆みたいなものを感じ取れるようになったので、めまいが起きないように気をつけている。

身体の調子を崩したのが去年の7月5日で早くも1年が経とうとしている。48歳、身体の変化を受け入れつつ、それでも足掻いて健康おやじになりたいものだぜ。

 

雑記 2023年5月30日 『監督はだれや、なんで勝手に休んどるねん?』

メニエール病もしくは「めまいのない」メニエール病を発症して早くも7ヶ月が経つ。

この病気には完治はなく、少し良くなっては再発を繰り返すという。それは完治ではなく寛解というらしい。

症状が一度治まったのが1月くらいでそこから順調に時が過ぎ、僕はこう思った。「ちょっとやそっと無理したくらいでびびってんじゃねえ、もう大丈夫やろう?」

そして無理をした。長距離移動とスキー三昧。そして・・・

 

メニエール病再発。。。

 

耳鳴りがでかい。これはかなり神経に来る。精神科にも通っていて適切な薬を処方してもらっているので鬱にも睡眠不足にもならないけれど、24時間脳内でブーーーンと耳鳴りがしているのはかなりしんどい。

 

そんな中、あるメニエール病についての本を読んだ。そこにはこう書いてあった。

「1日に1時間30分の有酸素運動がこの病気には効果的です。心拍数が110くらいで少し汗ばむくらいのウォーキングがいいでしょう。週3、4日でもいいですが、できれば毎日していただきたい」

 

というわけで従順な僕は1日1時間のウォーキングを始めた。指定の1時間30分には足りないが、僕は近所の山をのぼってくだるコースを選択しているのでなかなかの負荷がかかる。これはいい。体力もつくし、ストレス発散にもなる。

 

ゴールデンウィーク、妻の実家のある新潟に7日間滞在した。そのときもがんばってウォーキングをしていたのだが、なんとなく「今日はいいかな」とさぼってみたり、カフェインはあまりよくないのにコーヒーをガブガブ飲んだり、さらにはやめていたアルコールも毎日飲む始末。耳鳴りは止まないどころか、ついにめまいまで発症してしまい、「めまいのない」メニエール病から、本物のメニエール病に昇格してしまった。

僕は即座にコーヒーとアルコールをやめ、金沢に戻ってからは厳格にウォーキングを再開し、毎日規則正しく生きることにした。サラダを食べ、玉ねぎで血をサラサラにし、薬を忘れずに飲み、ヨガをし、腕立て伏せ腹筋背筋をし、シャワーを浴びながらリンパマッサージもする。ぬかりはない。そしてたまに心がこう言い出す。

「今日くらいさぼってもええやん、毎日がんばっとるんやし」

でもよ、一体どの口がほざいてんのよ、と僕はふと思う。誰が決めたのだろう、今日くらいさぼってもいいよって?

監督は誰だ?もちろん自分だ。しかし、僕はこう思ったのだ。

監督は僕の身体だ。身体がすべてを決定しなければいけないのだ、と。

心には従ってもらうしかない。残念ながら心はゆるい。ゆるい分だけ身体が迷惑をこうむる。攻守交代。身体の言うことが絶対なのだ。

 

監督が身体になって以来、めまいは消え、耳鳴りは小さくなった。身体の調子が良くなっていることに心が喜んでいる。

 

再発はもうこりごりだ。このままずっと健康でいるために身体の言うことをずっと聴いていこう。監督、これからもよろしくっす。

 

Ben

 

 

 

スキーブログ 35th LAST!! Run @シャルマン火打スキー場 『何事も腹八分目が大事』編

4月9日 シャルマン火打スキー場 Icetee Cup GSレース大会

 

前回の志賀高原に強行的に通うというアホな経験を通して、自分は年を取りつつあることを強く実感した47歳。もう無理はできんなあと、自分の体のあちこちから聞こえてくる悲鳴に耳を澄ましながら、冷静に今後の自分の体の調子を分析した結果、遠くに行く時は一泊してぐっすり寝てからスキーしよう!という結論に達した。

 

金沢からシャルマン火打までは車で2時間半。新潟県の手前の入善とう街にあるビジネスホテルに23時にチェックインして、6時半には出発するというスケジュールで大会に参加してみて、なかなかいい感じであった。

 

スキーを再開して7年目のシーズンも終わりに近づき、今シーズンも手応えを感じられる前進があり、シーズンの終わりはじつはシーズンの始まりでもあるような、そんな橋渡しのような4月のよく晴れた日曜日のスキー大会に参加できて、スキー場にいる間ずっと多幸感に包まれていた。来シーズンはこうしよう、オフトレはあれをしよう、ポールトレーニングをどうやって増やそう?などなど、橋渡しの1日は頭の中も忙しい。

 

さて、肝心のレースであるが、一本勝負のあとに、上位100名が2本目のファイナルラップに進め、さらにその中の上位30名が決勝に進めるというシステムで、1本目の一本勝負は、自分でも驚くくらいにタイムが悪かった。200名近くが硫安のあまり効かなかったゆるゆるのコースを滑ったおかげで、久しぶりの大ボブスレーコース。さらにはコース途中のストップ雪に引っかかったせいか、54秒99というクラス内トップとの差は約6秒と泣きたくなる結果に。ボブスレーはうまくこなしたし、スピード感も感じながら滑っていただけに、ちょっと旗門をぜんぶ上からまくってしまったせいかしらと頭をかしげつつ、カットタイム56秒をギリギリでクリア。ファイナルラップ予選にはなんとか進めた。

 

カットタイムぎりぎりだと、リバーススタートになるので、セット替えの直後のかなりきれいなバーンを滑れることが唯一の救いだ。インスペクションしたところ、あんまり難しそうなところがなかったので、とりあえずまっすぐ滑ろうと思って挑んだ2本目は、今シーズンの総仕上げのような滑りができて、タイムも50秒97と、1本目より4秒も速かった。これはもしかして30位以内に入って決勝に進めるかも!と淡い期待を抱いたけれども、タイムの発表アナウンスを聞いていると、上位者に近づくほどに49秒台が多くなり、さらに48秒台が顔を出し、そしてさらには47秒46秒のやつらがやってきて、僕はいとも簡単に圏外に押し出された。100人中89位スタートからの51位で終われたことは、まあそれでも満足のいくものでもあった。

 

着替えをささっと終え、腹が減っていることに気づき、レストハウスチャーシュー麺を食べさらにカレーパンも食べ、さらにふるまいのおしるこを食べて、仕上げにコーヒーを飲んだら、体が心がとても幸せだった。

 

レースの出番を待っているスタート周辺でのんびり腰をおろしている間、つくづく僕はこのスポーツ、この競技が好きだなと思った。情熱を注いだ分だけちゃんと反応があり、少しずつであるが良くなっていく。無理だとは思うけれども国体を目標にがんばりたい気持ちになる。いつも1位の彼よりも速く滑れる日を具体的に夢見ている。やってやれないことはない。人生は短い。

 

本当はファットスキーに履き替えて閉会式の抽選会まで滑り倒そうと思っていたけれど、疲れるだけだと思ってやめた。22-23シーズンの最後の滑りは2本目のファイナル予選のあの滑りにしておこう。腹八分目の感無量。最高の終わりで締めくくろう。

 

そんなに疲れも感じずに家路につき、有磯海のサービスエリアでいつも買おうと思ってはどうしても買わなかったケロリンの桶を土産に買い、金沢についてからアップルパイを買って、妻と娘の待つ我が家にたどり着いた。ふだんは飲まないビールを飲み、娘と夜の公園を散歩した。長い滑り台を娘を膝にのっけて高速で何度も滑り降りたのは、娘に滑る喜びを刷り込ませたいがため。いつかいっしょに娘とポール練習に参加するのがスキー親父の密かな夢でもある。

 

さて写真ダイジェスト!

Iceteecup@シャルマン火打

 

絶景の火打山

 

ローカル感がある、でかいスキー場。

 

寝るだけだった入善のビジホからの風景。

 

また来シーズンもお会いしましょう!

 

Ben

スキーブログ 2022-2023シーズン 34th Run@志賀高原・横手山スキー場 『4本で終了の巻』

3月29日 横手山スキー場 ゲートトレーニン

 

朝3時に起きて3時半に金沢を出発し、7時には志賀高原横手山スキー場に到着。

快晴、氷点下、言うことなしのバーン。

 

海和スキースクールは、練習最初の1本目と2本目をビデオに撮ってくれる。最初の滑りを動画にするのはきっと悪いクセが全部出るのが最初だからだと僕は思っている。コーチング後の改善された滑りではなく、最初のでろでろの滑りを撮る。だからはっきりと悪いクセが映し出され、そのショックも甚だ大きい。

 

フリーを4本滑り、ゲート2本を撮影してもらい、3本目はアドバイスもらえず、4本目で腰をやらかした。

普通に滑っていただけなのにガツンと腰に痛みが走り、なんだかもう力が入らない。ここまで苦労してやって来ただけに、最高のバーンだけに、なかなかやめるとは言い出せなかったけれど、痛くて滑れなかった。海和さんに「腰が痛すぎてもう滑れません。帰ります」と告げると、「猫背で滑ってるから衝撃がすべて腰に集まるんだよ」とその日唯一のありがたいアドバイスをいただく。

 

ブーツも脱げんくらいに痛かった。そして車で運転しての地獄の帰宅。

この日は金沢ではなく新潟の妻の実家に向かったわけだけど、30分おきにSAに立ち寄り、激痛の腰をなんとか伸ばし、そしてまた車に乗り込み、痛い痛いと連呼しながらなんとか新潟へとたどり着いた。

この短い期間に金沢新潟320キロ、新潟志賀高原240キロ、志賀高原金沢260キロ、金沢志賀高原260キロ、合計1080キロを一人で運転したわけで、そりゃあ腰もおかしくなる。何も猫背滑りだけのせいではない。しかし、猫背滑りはなんとしても直したい。

 

それにしても長距離移動のリスクも考えないと体調管理がうまくいかないのだということに改めて気付かされた。

 

妻の実家ではほとんどぎっくり腰状態で、また迷惑をかけた。

 

腰はようやく動くようになった。次のステージは4月9日のシャルマン火打スキー場でのGS大会、Iceteecupだ。毎回速い人たちが集まってくる締めくくりのようなレース。楽しみだ。腰をいわさないようにしなければ。

 

それでは写真ダイジェスト。

泣きながら見つめる妙高山

 

朝焼けの妙高山。この時はまだ腰が痛くなるなんて想像もしてなかった。

 

動画の静止画。内傾角が全然ないことに気づく。うまい人との比較はつぎの写真。

 

ターン前半においてすでに別物。はやくこうなりたい。来シーズンはこれを目指す。

 

Ben

スキーブログ 2022-2023 32nd, 33rd Run@志賀高原 横手山・渋峠スキー場&熊の湯スキー場『長野と群馬をへだてる山』編

3月25日 横手山渋峠 GSトレーニン

3月26日 熊の湯 フリー

 

今回は海和スキークラブにお世話になりました。コーチが何人もいて、対応も丁寧ですごいよいクラブでした。

当日はあいにくの雨、しかし山のてっぺんは雪で、練習場所の渋峠も雪。固いところと柔らかいところが混在する難しいバーンだったけれど、コーチのアドバイスが的確で、非常によい練習になった。今まで上体は正対が正解かと思い込んでいたけど、外向傾を作るように指導された。なぜ外向傾なのかを考えてみると、力学的にそうなんだなと納得。外肩があがることも指摘される。これもメカニズム的に力が逃げる動きなので納得。やはりコーチングを受けることは大切だなあと実感するデイキャンプでした。

 

2日目、朝起きると腰が痛い。でも今日もデイキャンプがんばるぞー!と気合いを入れて集合場所に向かうも、コーチ陣がそわそわしている。山頂に向かうリフトが強風で動かないそうだ。もしかしたらレッスンは中止になるかもしれませんとのこと。

ぎゃーん。

結局風は収まらず、レッスンは中止の運びに。隣のスキー場、熊の湯はリフトが動いているということで、せっかく志賀高原まで来ているのでフリーで滑ってから金沢に帰ることにした。

しかし、熊の湯も雨と風。滑っているうちにどんどんみじめな気分になってくる。しかもリフト券が高かったぞ。もとを取りたいけど、寒くて惨めで早々に切り上げた。泊まっていた宿の控え室を借りて着替えて、硫黄の温泉もお借りして、なんとか体を温め直してから金沢へと帰った。

その二日後、また新潟へ行く予定なので途中で志賀高原に立ち寄り、もう一度海和さんのチームのGSトレーニングに参加してくる予定。天気予報は晴れ。しかも氷点下。これは期待できる。

 

それではお写真タイム。

両足がようやく揃ってきたが、切り替えと山回りの上体の姿勢に問題あり。改善するぞー!

 

標高2307メートル。トレーニングバーンへ向かう道。ピクニック。

 

高校の合宿と合同で人数は多めだけど、回転率がよくしこたま滑った。このあとガスが出て来て、視界が大変わるくなった。コーチいわく渋峠は群馬と新潟の悪い天気をぜんぶ拾うので晴天率がひじょうによくないらしい。確かに翌日も熊の湯や横手は霧がないのに、渋峠(群馬側)だけが濃霧に覆われていた。山ひとつでこんなに天気って変わるんだね。

 

移動式コーヒーを楽しむ。

 

雨のスキーはやはり雨対策をしないとね。ブーツの中も濡れて寒くて最低な気分で終わった熊の湯スキー場

 

それではまた次回!

 

Ben