12月24日 たいら フリー
12月26日 牧の入(長野)ポール
12月27日 牧の入 ポール
12月28日 木島平(長野)ポール コーチ付き
12月29日 牧の入 ポール
1月3日 イオックス(富山)ナイター フリー
1月5日 たいら
1月6日 たいら
1月11日 白峰 北國杯 16人中12位 (高校生から59歳までのクラス)
ご覧の通り、怒涛のスキー滑走を経て、わたくし、父になりました。
女の子です。なまえは『しいな』。かわいいです。
予定日は1月22日だったので、すっかり油断をしていた元旦の日をまたいだ深夜2時。隣で不安げに僕の名を呼ぶ妻の声に目を覚ます。
真夜中、車を走らせ産院へ。今日か明日には産まれるかもしれないとの知らせに、驚きを隠せない。一度、僕だけ家に帰らされる。(コロナ下なので)
3日の朝、病院の妻から連絡があり、病院へと向かう。コロナ下で立会いは普通できないのだが、無痛分娩で麻酔を打つので立会人が必要。無痛分娩をかねてから希望していた妻のおかげで、赤ちゃんがお股から出て来る神聖な場面を一部始終目撃できた。一応、いきむ妻のみぞおちをゲンコツで押したりして、お産を手伝ったつもりにもなれた。
破水してから8時間くらいはかかると言われたのに、4時間で産まれた。
最後は吸引されて赤ちゃんが出てきた。ちいさな鼻の穴に吸引の管を突っ込まれた赤ちゃんがとても驚いた表情をしたのを見て、この子は大丈夫だと確信した。そして「オギャー!」と鳴いた(泣いた)。
産後の処置中、廊下で待たされている間、僕はひとり泣いた。とても温かい涙だった。窓の外は雪が舞っていて、枯れた田畑にうっすらと積もり始めていた。
14時になり、妻は5日間の入院。僕は家に帰される。産まれたばかりの赤子としばしのお別れ。産まれたばかりの赤ちゃんって猿みたいってみんな言うけど、猿だとは思えなかった。人間だったし、自分の子供だったし、何よりも小さくてかわいかった。
とりあえずの任務が終わった気がして、ナイターに行こうと思った。こんな日こそスキーをするべきだ。産後でつらい思いをしている妻には申し訳ないが、子供の誕生を祝うためにその日の夕方、スキーに行った。名付けてバースデーラン。
生まれてこのかた(自分がね)、こんなに満たされた気持ちで滑ったスキーは他にはない。世界はキラキラと輝いて見えた。こんな世の中なのに、とても完璧な世界だった。
子供が生まれた日にみた景色はおとぎ話の中の絵のようだった。
さて、怒涛の写真ダイジェスト!
ポールの殿堂、牧の入スキー場。ほとんど貸切状態でGSセットを滑り倒す4日間。
ターン後半ダメダメ疑惑。3日目は木島平のSIAスキースクールのポールトレーニングを受け、自分の欠点をスーパーダメ出ししてもらった。これはまだ改善前の滑りですよ!コーチの指導のおかげで、いかにアルペン基本姿勢が大事かがわかった。ストックの変な癖を直したら、滑りがめっちゃよくなり、理想のターンにかなり近づいてきた。
コロナこわい病で、レストランには入らず、すべて自炊。カレーうどん大好きなわたくし。
カレーうどんとXV。
食後のコーヒーも充実させた。
木島平のゲレンデ直結の宿。パノラマランド。このホテルで昔、外国人プロスノーボーダーが螺旋階段からスノボして5階から転落。死亡。螺旋階段の手すりを見てみたけど、ゴム製だったので、そりゃ滑らんよなあ、と感慨にふける。
コロナこわい病で、ホテルのレストランにも行かなかった。部屋で勝手に鍋×3夜。ちょっと飽きた。
部屋でカレーうどん。お昼。なんか楽しかったな。
国設!?
夕日の入り方が独特。木島平。
合宿最終日の4日目。牧の入。ハードバーン。国体C組のツワモノがそろって練習。僕はこそっと練習。12時になって誰もいなくなるまで意地で練習した。
長野の帰りにいつも立ち寄る、新井の道の駅。シャケは新潟名物だす。年末30日からは大寒波の予報で慌てて帰った。
昨シーズン、雪不足で1度もオープンできなかった白峰でのスキー大会。第3位。このクラス3人しかいなかった。まあ、タイムはそれなりだったので許す!
1月11日。金沢市内も雪がやばいことになっていて、2時間かけて白峰にやってきた。県内なのになぜに2時間もかかるんや!?
2ターンはラインどりミスって、大回り。それがなければ2秒は速かったはず!!
次は国体予選。負ける気満々で挑みます!!!