手術しました。その1

7月の初めに発症した様々な体調不良の総合デパート状態(耳鳴り、鼻づまり、頭痛、不眠、鬱)を一気に打開するには、慢性副鼻腔炎の手術をするしかないと思い立ったのが8月の初め。

手術の予約をして約2ヶ月、体調はあんまり思わしくなく、風邪っぽさもなかなか治らず、夏バテもあり、けっこう最悪な9月を乗り越え、やっと手術入院の当日を迎えたのが9月27日の火曜日だった。PCR検査も無事陰性で手術入院の許可もおりてほっと胸をなでおろしつつ入院させてもらった。

いろんな診断結果から慢性副鼻腔炎の中でも難治性の「好酸球副鼻腔炎」の可能性が高いと言われていて5年以内の再発率5割。それでも5年間鼻での呼吸がスースー快適なら難治性でも手術したい!さらには再発しない残りの5割にぜひとも乗っかっていく心算でございます!という高鳴る気持ちで受けに出かけた手術であったけれど、全身麻酔の手術を僕は甘く見ていたようだった。

手術前日はそれはもう久しぶりに何もしないでよい入院生活が新鮮で楽しくてしょうがなく、外来のコンビニをむだにうろついたり、こっそり病院を抜け出してまわりを散歩してみたり、安倍の国葬の生中継を複雑な気持ちで視聴したり、7階から見渡す眺めのよい景色に見入ったり、数年振りの病院食の少なさにいちいち衝撃を受けたり、何かといちいち楽しんでいたが、それも最初の1日だけだった。

ちなみに僕は拘束系恐怖症で、病院で右腕にはめられた患者識別リストバンドをつけられて数時間後にそれを外したくて急にもがき始める始末。がまんできなくて、リストバンドを外してほしいと看護師さんに言ったら、変な顔をされつつもハサミで切ってくれた。「きつい指輪とか外せなくなるようなものが苦手なんです」と言うと、看護師さんに輪っか恐怖症だと思われたらしく、その後に使い方の説明のあった吸引器具の輪っかを指差して「輪っかですけど大丈夫ですか?」と聞かれた。もちろん輪っかは大丈夫で、僕は縛られる系が苦手なんす。

ということは、明日の手術、術後はいろんなものに繋がれているわけで、酸素マスク、尿道カテーテル、点滴、パルスオキシメーター、それこそ手術後ベッドの上で安静4時間という縛り地獄。果たしてパニックにならずに耐えられるだろうか。こうなったらもう耐えるしかないんだけど、まあなんとかなるだろうとは思った。しかし‥‥

 

手術当日。前日深夜0時から絶飲絶食だった。手術着に腕を通し、着圧ソックスを履くと急に緊張してきた。看護師さんに連れられて歩いて手術室へ。県立中央病院は新しくてバカでかく、手術棟はSFのような世界で、まっ白な印象の中で手術スタッフが忙しく動き回っている。ほかにも手術を受ける患者が僕と同じように手術着に身を包んで何かに吸い込まれるように歩いていく様は、UFOの中で宇宙人に催眠術をかけられて実験台に連れていかれるといった映画のような世界を思わせた。僕もとてもふわふわした気持ちのまま手術台の上にのぼり、横になる。点滴の針がうまくささらないことで若い男性スタッフが「毛が濃くて」とか言ってるのを聞いて、毛深くて悪かったね、と思ったり。すぐさま麻酔の先生が現れて、「ちょっと喉が苦しくなるかも」って言われた瞬間に、「苦しいです!」と言い放つ。ほんとに苦しかったが、麻酔の先生が「すぐに眠くなるからね」と言ったか言わないかくらいで僕はもうすでに意識を失っていた。

 

慢性副鼻腔炎とは、どろっどろの鼻水やら痰がずっと出ているうちに、顔面の中にある空洞に膿がどんどん溜まっていく病気で、そこから頭痛やら鼻づまりやらQOLを下げにかかる諸症状が慢性的に出るという感じで、僕の場合は、鼻茸と呼ばれるポリープがたくさん鼻腔内に存在し、それを切除し、空洞内に溜まった膿を掃除するのが今回の手術だった。さらに僕は鼻中隔と呼ばれる軟骨が左に曲がっていて鼻腔がひどく狭かったため、軟骨を少し切り取って鼻腔をまっすぐにする手術も並行して行われるようだった。

 

時空のトンネルを潜るかのように、目が覚めた時、僕は知らない個室部屋にいて、目の前には主治医の先生とその横に妻の顔があった。僕は英語のレッスンでプリントを配る夢を見ていたところで、主治医の先生と妻にプリントを配るために起き上がろうとすると、主治医の先生に「起き上がらなくていいですよ!」と制止されたように思うが、それももしかしたら夢かもしれない。朦朧とする頭の前で、主治医の先生に切り取ったポリープと軟骨みたいなものを見せられる。「欲しいですか?」と聞かれたが、いらないと首を振るのが精一杯。なんだか気持ち悪い。妻はなんとも言えない顔をしている。いや、妻の方向がうまく見えない。なんだかとても苦しい。先生が去った直後か、看護師がいて、妻もいた。僕は急に吐きそうになり、「吐きそうです!」と訴える。青いビニール袋が開かれその中に吐いたものはどす黒い。その姿にひるんだのか、妻は僕の膝あたりをさすってから「もう行くね」と言って病室を出て行った。

これはあまりにも苦しすぎる。そしてぜんぜん体が動かない!妻がいなくなってひどく心細い!僕はナースコールを連打し、「妻を呼んでください。ちょっと一人では耐えきれません」と必死で訴えた。担当看護師は「うーん、それはちょっとダメなんです。では私がしばらくここにいますから」

動けない。鼻はガーゼを詰められて完全につまっている。完全口呼吸だ。そして点滴はされているものの、喉が異常に乾く。つばも飲めない。口の中が砂漠のように乾いている。これはパニックだった。看護師はガーゼに水を含ませてそれを口に入れろという。砂漠に染み入る一滴の水のようにそれは口をたったの3分ほどだけうるおす。そして3分後にはまたカラッカラの砂漠になる。ガーゼに含んだ水を含む。3分後に砂漠。それを4時間も繰り返すのかと思ったら絶望的な気分になるのだった。

 

つづく。