3月5日 たいら大回転
まずはレースの話から。
たいら大回転は国体コースを使用する。そして当日は3月特有の放射冷却からのスーパーアイスバーン。まさにW杯並みの氷のバーンが国体コースに出現している。これはもう無理なわけで!次元が違う。エッジが効かない。まさに歯が立たない。
ポールの立て方もえぐかった。急斜面前半でスルーゲートがあったり、わざわざせまい片斜面の落ち込んだところに旗門で誘導されたり、縦のスルーゲートが出現したり、とビックリ箱のようなコース。コースセッターはきっとほくそ笑みながら旗門を立てていたに違いない。地元の滑り込み慣れたトップレーサー用に立てたんだよ、きっと。
そう思いたくなるほどの難コースとカチカチの乾燥アイスバーン。レース本番は急斜面の全部のターンを落とされてその度に踏ん張っていたので、緩斜面からの中斜面以降は、完全なるスタミナ切れ、体力の限界。上体が起きてしまう。ポールに当たって負けてしまう。これはまるで別問題だと思った。英語の試験を受けに来たら数学のテストだったというくらい、別のもの、別の世界のレースであった。
そんなわけで僕はシニアの部にも参加していて、こちらはスタート場所をかなり下げてのコース。午前中散々な目に遭わされたので、シニアの部は小学生と同じコース、気温もあがり、ややバーンも緩んで、ああ、これが僕の求めていたレースなんだよと気を取り直す。今までの滑りをぶち込んでおりゃあああと滑った。目標タイムは50秒切りじゃああああと滑った。
結果は50.37秒。うううう、悔しい!けれど惜しい!14人滑って一応6位にはなった。うん、がんばった、がんばってる。父ちゃん!手応えを感じるレースとなり、これは次に繋がる結果だと思えたことが嬉しかった。
表彰式で6位入賞で呼ばれると思い、写真を誰かに撮ってもらう準備までしていたのに、なぜかシニアの部だけは3位までの表彰。この事実を知って落胆する筆者であった。悲しい。何か手土産に持って帰りたかった。父ちゃん、入賞したぞー!と言って帰りたかった。
以上がレースのお話。
さて、カネモトレーシングとして挑んだ今回のレース。金本さん59歳は滋賀県から参加している京都弁のナイスなミドルガイなんだけど、どこかおっちょこちょいなところが満載な人柄で、レース直前のスタート地点周辺に金本さんの姿がないなあ、おかしいなあ、と思っていたら、ラインが来て「練習中の転倒により負傷リタイアとなりました」とのメッセージが。あれれれ、また怪我してはるのか!(数年前、金本さんは白峰での練習中に派手に転んで両腕骨折)
僕がレースでハアハアヒイヒイ言いながらゴール地点にたどり着くと、スマホで僕の動画を撮っている金本さんの姿が目に入る。あれ、なんかすでに着替えてはるし。そして、関西弁でボケをかましてくる。「ふくらはぎは肉離れでスキーは滑れまへんけど、ドラムはまだ叩けますわ」(金本さんは最近趣味でバンドを始めたらしい)
レース直後で息切れしている僕はそんなボケには構っていられず、ああ、そうですかと言葉を交わすのが精一杯。いつでも帰っていいですからねと声をかけて、僕はスタート地点へと戻り、次のレースの準備に入る。
そして無言のスタート待ち。あれ、チームを組んだのは、この無言を打ち破って、互いにがんばりましょう!とか言う相手が欲しかったからなんよ、それなのに金本さん、また転んではるし!心の中でつぶやく自分。でももうここまで来たらレースに集中するだけだ。結局レースは自分との戦い。和気あいあいもいいけれど、自分と向き合う時間も大切だ。僕は集中した。結果は満足できるものになった。そしてなんと金本さんはまだ帰らずに2本目のシニアのレースの僕の滑走をスマホで録画していてくれた。ありがとう、金本さん!怪我はしたけど動画を撮ってくれた。僕は何度もその動画を見返して、けっこういい滑りになったもんだと嬉しくなった。チームを組んでよかった。動画を撮ってくれる人がいるって素敵!というわけで金本さんは今回は動画係になってしまったけれど、いつかはいっしょに戦えるチームメイトになりたいと思います。金本さんもがんばってくださいね。スキーは熱く行きましょう。
写真ダイジェスト
毎回攻略できない急斜面。
自撮り。チームメイト負傷により。
くやしい。来年はシニアの部で3位入賞を目指す!
富山のアクトスポーツによる試乗会。煩わしい申し込み一切なしで、これお願いしますと言うだけでソール調整してくれてすぐに貸し出してくれる。来期のオガサカのR30GSモデルを乗ってみて、なんじゃこりゃ!むっちゃええ!となった。ぼくの今履いているディナスターとはまるで違う乗り物でした。
ひっさびさにビール(アルコール)を飲んだ。
たいら大回転は僕にとってある意味シーズンの節目である。乾杯。
さて次回は乗鞍大回転。ここも屈指の難コースなり。
がんばります。
Ben